たとえば非正規雇用の若者。「居場所」がない人が宗教を求める
坐禅で「悟り」は開けない その二
自分は誰か
このダメージは、どう考えても「自己決定」や「自己責任」の埒外でしょう。そうだとすると、「苦しい」人たちの思いは、「どうして自分はこうなんだろう?」「どんなに努力してもダメなのは、なぜだろう?」という絶望的な問いとなるのではないでしょうか。
これには、自分自身も他の誰も答えられません。「なぜ自分だけこうなんだろう?」は、しばしば「なぜ自分は生きているのだろう?」となり、最後に「そもそも自分は何なんだろう」という問いにまで至ります。
近代以前の社会は、いわゆる「ムラ社会」と呼ばれる地縁血縁共同体が各自に「役割」を与え、近代以後は基本的には会社が与える役割、つまり「職業」が「自分は誰か」を決めていました。近代社会で「無職」が強い警戒心を呼び起こすのは、それが「正体不明」と同義語だからです。
「自分が誰か」を規定するものを「アイデンティティ」と言うなら、家族を信頼できず、職業が不安定な人のアイデンティティは、今どうやって安定させたらよいのでしょう。
〈『「悟り」は開けない』ベスト新書より構成〉